スーツ
vol.386
おはようございます!
歴史とロマンの街小樽の
スーツ仕立て屋
SARTORIA FISTY
の拝田昇です!
昨晩ATPマスターズ1000
パリ大会の決勝でロシア
のハチャノフがジョコビッチ
を破りマスターズ1000
初優勝を果たしました
ハチャノフはノーシードから
イズナー、A.ズベレフ、ティーム、
ジョコビッチと4戦連続で
トップ10プレイヤーを撃破!!
これはなかなかありません(笑)
いいものを観せてもらいました
正直ジョコビッチの圧勝
だと思ってました
そのジョコビッチは連勝が
22でストップしてしまいました
ミスが多くあきらかに昨日の
フェデラー戦の疲れが
残っていましたね
試合終了後も笑顔でしたから
納得の敗戦なんだと思います
今回は敗れてしまいましたが
ロンドンでのファイナルズの
本命はやはりジョコビッチ
だと思います
11日からの試合も楽しみです
背広の語源ー東洋説
昨日『背広の語源』について
「西洋説」をお伝えしましたが
「東洋説」も存在します
実はこちらの方が信憑性
高い気がしています(笑)
1.横浜の西洋人居留区で働く
中国人の洋服職人が背中を
広くとるサックスーツを
「背広」と仮称した
2.中国ではベストを「背心」
コートを「新背心」
など「背」という漢字を
用いて西洋の紳士服を
翻訳したことを真似た
1.中国人の洋服職人説
1857年横浜港が開港され
多くの西洋人が横浜の居留地に
住み着くようになると、西洋人と
一緒に中国人の洋服職人たちも
移住してきました
手先の器用な中国人は洋服の
仕立てが上手いと評判でした
そんな中国人たちが、
サックスーツを「背広」と
名付けそれが日本人の職人に
伝わったとする説
2.中国語説
福澤諭吉の最初の出版物として
知られる『増訂華英通語』は
当時の清国の学者・子卿が著した
『華英通語』という辞典を福澤諭吉が
和訳したものです
ちなみに日本語を英語に訳す
辞典を和英辞典と言いますが
『華英通語』の「華英」とは
中国語と英語を意味します
この『増訂華英通語』の中で
西洋の紳士服に関して以下の
ような記述があります
vest 背心 ウワギ
new waistcoat 新背心
当時の清国では、西洋の紳士服
に「背」という漢字を用いている
ことから「背広」は中国語に由来
するのではないかという仮説が
「中国語説」です
なお『増訂華英通語』が出版された
のは1860年
この10年後に、福澤諭吉の弟子が
「せびろ」という言葉を、日本で
初めて書物の中で紹介しています
当時、日本に次々と上陸した
西洋の新知識を収録した
『絵入智恵の環(えいりちえのわ)』
という書物の中で、イラストとともに
ひらがなで「せびろ」と紹介されました
しかしこの書物で紹介されたのは
イラストと「せびろ」という言葉
のみで、詳しい解説は一切
ありませんでした
ちなみに著者の名は古川正雄
幕末から維新後にかけて
福沢諭吉の弟子の一人だった
時期もある人物です
ひらがな表記とはいえ「せびろ」
という言葉が書物に初めて登場した
その翌年の1871年、今度は
カタカナ表記で「セビロ」が書物
の中に登場しています
カタカナ表記の「セビロ」が登場
したのは『英字訓蒙図解』という
タイトルの、イラスト付き
英和辞典とでも言うべき書物です
「Gloves グロブス てぶくろ」
アルファベット、発音、日本語の
意味が載っている『英字訓蒙図解』
の中で「セビロ」は次のように
記述されています
sabero セビロ せびろ
ちなみに「Sabero」の意味は不明。
スペイン・レオン州に「Sabero」
という地名が存在しますが
この地名とは無関係のようです
「せびろ」「セビロ」についで、
1873年に刊行された日本初の
紳士服の型紙集『服裁縫初心伝』の
中でようやく漢字表記の
「背広」が登場します
さて、この書物に掲載されている
「背広」の型紙には「背縫い」と
呼ばれる背筋の縫い目がありません
背筋に縫い目がないと背中が
ゆったりとした仕上がりになるため
「背広」という言葉が生まれた
とする説がありましたが
当時の「背広」は、この説の通りの
構造だったようです
出展元:言葉の救急箱
『背広の語源』について『西洋説』
『東洋説』と書いてきました
が結局のところは『不明』
ということらしいです
個人的には『サヴィル・ロウ』が訛って
『背広』になったという説が好きですが
『中国語説』が一番信憑性が
高いかなぁ〜と思っています